家に帰ると愛犬が駆け寄って来てオーナーの顔をペロペロと舐める、きれい好きな愛猫がいつも毛づくろいをしている、といったようにペットは器用に舌を使います。近年の研究によって、舌の運動能力が私たちの老化と深い関係があることが判ってきました。
目次
【老化と舌の変化】
老化レベルをチェックする方法には筋力、視力、聴力、記憶力などの測定がありますが、これらに加えて舌圧(ぜつあつ)を測るという方法が開発されました。この舌圧とは口の中で舌を上顎に押し付ける力をいいます。まずは舌がどのような仕事をしているのかを押さえておきましょう。
舌の役割と加齢変化
舌の役割というとまず味覚が頭に浮かびます。舌には感覚器官と運動器官の2つの役割があり、味覚は感覚器官としての仕事です。運動器官としては「発音・咀嚼・嚥下」の3つがあります。この3つはペットにおいてもお腹が空けばワン/ニャーと鳴き(発音)、フードを噛んで(咀嚼)、飲み込む(嚥下)ということで私たちヒトと同じです。
舌は年を取るにつれて運動能力の基である舌筋力と舌圧が低下してきます。これにより咀嚼と嚥下に支障が起こり、食事中にむせる/咳き込む、飲み込みづらい、食事に時間がかかるといった摂食・嚥下障害がみられるようになります。
このような食事トラブルは高齢ペットオーナーのみなさんなら誰しも実感されているのではないでしょうか。舌は飲み込む=嚥下という動作において、食べ物を口から喉の奥(咽頭)へ送り込む動力源になっているのです。
舌の運動能力低下
年齢と舌の運動能力の関係を見てみましょう。若年者22名(平均26.8歳)と身体に異常を認めない高齢者11名(平均年齢65.0歳)を対象に、舌の上下運動速度を比較測定したデータがあります(平井敏博ら 東日本学園大学 1989年)。
上方向または下方向への舌運動をそれぞれ60回行い、平均値を求めたところ若年者群が上方向下方向:52.1mm/秒であったのに対し、高齢者群では上方向:33.0mm/秒、下方向:29.3mm/秒という結果でした。若年者に比べ高齢者は40%ほど舌の運動能力が低下しているということです。
舌圧の低下
では今回のテーマである舌圧について確認しましょう。20~70代の男女合計853人の最大舌圧を測定した報告があります(Utanohara 広島大学 2008年)。これを年代別に集計すると20代から50代では40.4~41.9kPaとほぼ同じ値でしたが、60代になると37.6kPa、さらに70代では31.9kPaにまで落ちていました。
舌圧とは舌を上顎に押し付ける力のことで、ここでのkPa(キロパスカル)とは圧力を示す単位です。舌圧は60代に入ると減少し始めることが判りましたが、ヒトの60代というと小型犬では10歳、大型犬で8歳に相当します。これくらいの年齢の愛犬において食事スピードが落ちてきたとか、むせてしまうというような場面を見かけることはありませんか?
【食事と舌圧】
老化が進み舌の筋力や舌圧が低下すると誤嚥といった摂食・嚥下障害を招きます。ここでは高齢者が食べている食事のタイプや食事中に直面するトラブルと舌圧の関係を確認します。
食事の硬さ
介護施設に入所する65歳以上の要介護高齢者66人(平均年齢82.3歳)を普通食、お粥、きざみ食、ミキサー食の4つの食事形態にグループ分けし、各群の最大舌圧を測定したデータです(津賀一弘ら 広島大学 2004年)。
普通食を食べている高齢者の最大舌圧はおよそ27kPaでした。これを100として他群の値を換算するとお粥(85)、きざみ食(52)、ミキサー食(37)というように低くなっていきました。食物の粘度/硬さが大きいものを飲み込むには高い舌圧が必要であり、またいつも軟らかく飲み込みやすい食物を摂っていると舌圧は次第に低下してゆくと考えられます。
食事トラブル
高齢者では食事中に食べ物が気管に入り込み咳き込む、噛んでいる途中に口からこぼれるといったトラブルが起こります。これら摂食・嚥下障害と舌圧低下との関係を調べた報告があります(児玉実穂ら 日本歯科大学 2004年)。
調査では特別養護老人ホーム入所者83人(平均年齢83.3歳)を食事中のむせ、食べこぼし、よだれの有無で2群に分け、それぞれの最大舌圧の平均値を求めました。すると該当ありグループの舌圧は該当なしグループの25~50%ほども低い結果となりました。
咳き込みや食べこぼしは高齢ペットの食事でもしばしば見かける現象です。舌圧の低下はこれら食事トラブルの背景の1つになっているようです。
【老化ケアと舌圧】
ヒトもペットも老化現象には運動機能の低下(筋肉、骨、関節)と脳・認知機能の低下の2つがあります。最後に高齢者の介護レベルおよび認知レベルと舌圧の関連性を探りましょう。
介護レベルと舌圧
前出の津賀は要介護高齢者を全身状態を基に次の3つの介護レベルに分け、それぞれの最大舌圧を測定しました。
・レベルA(準寝たきり状態)
…屋内生活は概ね自立可能、外出には介助が必要
・レベルB-1(寝たきり状態)
…ベッド生活、食事や排泄はベッドから離れて実施
・レベルB-2(寝たきり状態)
…ベッド生活、食事や排泄はベッド上で実施
各グループに該当する高齢者の最大舌圧を見るとレベルA:約28kPa、これがレベルB-1:約21kPa、そしてレベルB-2:約15kPaとなっていました。全身の運動機能の低下に合わせて介護レベルが進むにつれて、高齢者の舌圧は低下していきました。
認知レベルと舌圧
調査対象高齢者を認知レベルで正常・軽度認知症・中等度認知症の3群に分け、最大舌圧との関係を確認します。正常レベル群高齢者の平均値が約26kPaであったのに対し、認知症群では軽度レベルも中等度レベルも約14kPaとほぼ1/2に低下していました。
この調査では認知症の進行と最大舌圧が関連していることは確認されましたが、「老化→舌圧低下→認知レベルの低下」なのか「老化→認知レベルの低下→舌圧低下」なのかは不明です。仮に舌圧低下が脳・認知機能のレベルダウンを招いているならば、「日々の訓練→舌圧強化→脳・認知機能の維持」という流れが期待できます。
以前このコラムで硬いものを噛むと脳への血流量が増加し脳機能の維持につながるという話をしました。今回はこの顎の咀嚼運動の他に舌の上下運動/舌圧が摂食・嚥下障害を防ぎ、そして脳・認知機能の維持にも関係しているという内容でした。次回はヒトとペットの老化対策としての舌圧強化訓練に関する試験データを紹介します。
(以上)
執筆獣医師のご紹介

本町獣医科サポート
獣医師 北島 崇
日本獣医畜産大学(現 日本獣医生命科学大学)獣医畜産学部獣医学科 卒業
産業動物のフード、サプリメント、ワクチンなどの研究・開発で活躍後、、
高齢ペットの食事や健康、生活をサポートする「本町獣医科サポート」を開業。