獣医師が解説

【獣医師が解説】ペットとの生活編:テーマ「舌刺激と記憶能力」

ペットが食事終わりにフードボウルをぺろぺろ舐める場面を見た場合、みなさんはどのようなことを思いますか?「美味しそうに食べる姿がかわいいなあ」とか「食欲もあり元気でけっこう」というのが一般的でしょう。今回はこの舐める(=舌刺激)という行動が脳の記憶力向上に貢献しているという話をしましょう。

【脳刺激と記憶力】

脳(大脳)は思考、感覚、運動、判断などさまざまな機能を担っています。これらの働きはおおよそ担当エリアが決まっており、例えば記憶は側頭葉の海馬(かいば)という部位が受けもっています。

記憶を担当する海馬

皮膚は切ってもその後傷口がふさがります。これは皮膚の細胞が増殖して修復してくれるためですが、脳や脊髄をつくる神経細胞は損傷を受けると再生しないとされています。交通事故によって下半身が動かなくなった、などというのはこのためです。

近年、大人の脳の海馬部位では神経細胞が生まれる「神経新生」という現象が確認されています。そしてこの神経新生は加齢やストレスで抑制され、運動や薬によって亢進するとされます。すなわち、老化による記憶力の低下は、海馬部位の刺激によって維持・向上させることが期待できるということです。

口内刺激と脳血流量

脳が活動する時、血流量は増加します。逆に脳血流量を増やすことで脳は活性化します。脳への血流量をアップさせる方法にはスポーツや硬いものを噛む咀嚼運動がありますが、ここで口内刺激/マッサージの作用を紹介しましょう。

60~65歳の男女合計10人を被験者とし、歯ブラシで15秒間口内ブラッシング刺激した後の脳血流量変化を調べたデータがあります。刺激部位は歯肉、舌、硬口蓋の3か所です(森田婦美子ら 太成学院大学 2018年)。

刺激前と比較した脳血流量の相対値は歯肉(0.0016)<舌(0.0106)<硬口蓋(0.0193)の順となり、舌や硬口蓋を歯ブラシマッサージすると脳の活動が増すことが判りました。この現象は舌や硬口蓋(=上顎)に分布する神経・血管が刺激されたことに因るものです。

ペットが水やミルクを飲むと舌と上顎が触れ合います。舌の押上げ運動は舌筋/舌圧強化と同時に、マッサージ効果によって脳への血流量アップ=脳の活性化も促進していると考えられます。

【舌への温度刺激と記憶力】

残念なことですがペットの歯磨きはまだまだ一般には行われていません。ましてや歯ブラシで舌や上顎部分をマッサージするのはほぼ不可能です。ではフードで舌を刺激するという作戦はどうでしょうか?まずは舌を温度で刺激した場合の記憶機能への影響を確認しましょう。

2つの記憶力

実験動物を用いて舌への温度刺激が記憶能力にどのような影響を及ぼすのかを調べた報告があります(行平 崇ら 熊本保健科学大学 2020年)。試験設定は次のとおりです。

●被験動物 ラット
●グループ(各群6匹) 10秒間×3回刺激を1か月間実施
  :対照群 …約25℃で舌刺激
  :冷覚刺激群 …約11℃で舌刺激
  :温覚刺激群 …約43℃で舌刺激
●測定項目
  空間学習・作業記憶、短期記憶、海馬細胞数

空間学習・作業記憶試験とはラットを迷路に入れて、水を探させるという実験です。水を見つけるのを失敗した回数をカウントして、これが少ないほど学習・作業記憶が高いと評価します。結果では対照群(1.35回)、冷覚刺激群(0.83回)、温覚刺激群(0.94回)と3群に有意差はありませんでした。

短期記憶試験は装置の中に触れると軽い電流が流れる部位を作り、これから避難する時間を測定するというものです。感電から逃げる時間が長いほど記憶が良好となります。

この実験でも対照群(239秒)、冷覚刺激群(252秒)、温覚刺激群(213秒)と3群の間に有意差は見られませんでした。以上より舌への冷たい/熱いという温度刺激はラットの記憶機能に影響しないようです。

記憶細胞数

先ほども少し述べましたが、脳の中で学習や記憶を担当しているのは海馬という部位です。実験に供された3群のラットの脳内の海馬細胞数に違いがあったのかを確認しました。

単位面積あたりの細胞数は対照群(15.4個)、冷覚刺激群(20.5個)、温覚刺激群(19.4個)でした。温度刺激群の方がやや多い傾向が見られましたが、3群間に有意差は確認されませんでした。

以上の実験結果より、舌への温度刺激では脳の記憶機能を向上させることはできないことが判りました。残念ながら冷たいものを食べても、熱いものを食べても記憶力はアップしないということになります。

【舌への圧刺激と記憶力】

食事中の舌への刺激は温度の他にもう1つ「圧」があります。すなわち硬い食べ物は舌表面を押さえつけるというものです。では舌への圧刺激と脳記憶機能との関係データを見てみましょう(田中哲子ら 熊本保健科学大学 2018年)。

記憶力の向上

今度はラットの舌を押さえつける圧力で次の3グループに分け、これを1日9回×1か月間継続刺激し、前出と同様の記憶試験を実施しました。

●被験動物 ラット
●グループ
  :対照群(10匹)
  :弱圧覚刺激群(12匹)
  :強圧覚刺激群(11匹)
●測定項目
  空間学習・作業記憶、短期記憶、海馬細胞数

迷路内で水を見つける実験での失敗回数は対照群(1.6回)、弱圧刺激群(1.2回)、強圧刺激群(0.6回)となりました。舌表面に圧を加えると学習・作業記憶が向上し、そして圧力が高い方が良好な成績となりました。

もう1つ感電を避ける実験での避難時間は対照群(58.0秒)、弱圧刺激群(221.5秒)、強圧刺激群(460.1秒)と大きな差が認められました。この場合も舌表面に高い圧力を与えるほど短期記憶能力は向上しました。温度刺激と異なり舌への圧刺激は脳の記憶能力向上に期待ができそうです。

記憶細胞の増加

記憶能力がアップしたということは、脳の記憶を担当する細胞数が増加していると考えられます。そこで単位面積あたりの海馬細胞数を比較測定したところ対照群(16.1)、弱圧刺激群(38.6)、強圧刺激群(33.8)となっていました。

以上の試験結果から、舌表面に押さえるという刺激を加えると脳の海馬細胞の増加すなわち神経新生が起こり、各種記憶機能の強化・向上が見られることが確認されました。

ペットは高齢化に伴い食欲が低下し、誤嚥などの食事トラブルも起きやすくなります。するとどうしても軟らかく食べやすいフードを与えることになります。これは間違いではありませんが、同時に舌刺激の減少は海馬の神経新生を抑え、そして記憶能力低下へとつながるリスクも考えられます。

毎日の食事で食器/フードボウルをぺろぺろ舐めるという行動は、高齢ペットの脳機能、中でも記憶力の低下を防ぐ有効な対策といえます。行儀が悪いと思わずに「今日も脳を鍛えているなあ~」と考えると何とも愛おしさが増してきます。

(以上)

執筆獣医師のご紹介

獣医師 北島 崇

本町獣医科サポート

獣医師 北島 崇

日本獣医畜産大学(現 日本獣医生命科学大学)獣医畜産学部獣医学科 卒業
産業動物のフード、サプリメント、ワクチンなどの研究・開発で活躍後、、
高齢ペットの食事や健康、生活をサポートする「本町獣医科サポート」を開業。

本町獣医科サポートホームページ

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