獣医師が解説

【獣医師が解説】ペットとの生活編:テーマ「ペットへの音響エンリッチメント」

スローテンポの音楽は私たちの気持ちを落ち着かせる働きがあります。同時に感覚閾値はアップし痛みが感じにくくなるため、クラシック音楽のBGMはケガや手術後のケアに期待できそうです。ではこの音楽は動物やペットの生活行動にも影響をするのでしょうか。

【環境エンリッチメント】

近年ペットや動物園の展示動物はもちろん、牛、豚、鶏、魚など家畜に対しても「動物の健康・福祉」が重要視されています。すなわちストレスや苦痛を与えない飼育方法が求められているのですが、その対策の1つに環境エンリッチメントという考え方があります。

環境エンリッチメントとは?

環境エンリッチメントとは、本来その動物はどのような生活をしていたかという点に着目して飼育環境を改善し、ストレスを軽減するという取り組みをいいます。この環境エンリッチメントには「空間・採食・社会・感覚・認知」の5つの要素があります。

具体的に説明すると「空間」とは住環境のことで動物が動き回れるスペースを設ける、ネコのためのキャットタワーを設置するといったことです。「採食」はエサの与え方、「社会」では群れを作る動物か単独で生活する動物かを考慮します。

「感覚」は匂いや音など五感の刺激、そして「認知」では動物自身が考えて行動する認知トイやノーズワークといった遊びの提供があげられます。今回はこの中の感覚の1つである音(音響エンリッチメント)が動物に与える作用を紹介します。

サルの攻撃行動

動物園の人気者にサルがいます。サルは群飼育されているため、密度やサル間の上下関係によりケンカが起こることがあります。大学の研究センターで複数飼育されているニホンザルに音楽を聞かせることで(=音響エンリッチメント)攻撃行動は抑えられるのかという実験報告があります(須田直子ら 京都大学 2009年)。

年齢5歳のニホンザル5頭を対象として、音楽なしと音楽ありの飼育条件を設定し、その行動を観察しました。一定時間あたりの威嚇・追い回し・闘争の発生回数を比較すると、音楽を聴かせることで攻撃行動の発生頻度はおよそ1/3に減少しました。

この実験で流したBGMはクラシックとヒーリング系の音楽でした。ヒトはもちろんサルにとってもゆったりとした音楽はストレスを抑える作用があるようです。

マウスの寿命

次は音響環境が動物の寿命に与える影響を確認した実験です(山下祐一ら 国立精神・神経医療研究センター 2018年)。8週齢のマウスを次の3環境下で飼育しました。

○通常音条件 …研究センターの飼育室の音
○広帯域音条件 …熱帯雨林のジャングル音
○狭帯域音条件 …上記ジャングル音からマウスどうしがコミュニケーシ
ョンに用いる音域を除去した音

長期間飼育により各群の平均寿命を確認し、対照である通常音グループの値を他2グループと比較したところ、広帯域音グループのマウスは約7%、狭帯域音のマウスは約17%も長くなっていました。

人間がつくった飼育室の音より野生のネズミが生活していたジャングルの音を聞く方が長生きするという結果です。環境エンリッチメントの中でも音楽・音響は大変重要であるということが判ります。

ここで興味深いのは、マウスの発声音域を含まない狭帯域音条件の方がより寿命が延びたという点です。これは、マウスは仲間の声を聞いて生活するとストレスがかかるということを意味します。動物の生活に音響エンリッチメントを活用するにはまだまだ詳しい研究が必要なようです。

【BGMと保護犬】

ペットと一緒に暮らすというライススタイルが広がるのはうれしいことですが、その反面どうしても飼育できないという事例も発生します。そのためいろいろな背景から保護されたペットを一時的に飼育する動物愛護センターが各地にあります。

問題行動の低減

保護施設に収容されている犬はさまざまなストレスを受けてきたと考えられ、人に対して攻撃的または極端に怯えるといった反応を見せるものがいます。この保護犬の問題行動対策として、次の設定で音響エンリッチメントの効果を確認した報告があります(櫻間麻友ら 酪農学園大学 2022年)。

●供試犬 常同行動を示す保護犬4頭
●試聴音楽 クラシック …モーツァルト(9~12曲)
日本歌謡曲 …美空ひばり(16~18曲)
●スケジュール
無音(6日間)→クラシック試聴(5日間)→無音(9日間)→歌謡曲試聴(5日間)
●測定項目 問題行動発生頻度、糞中コルチゾール

供試犬の問題行動として吠える、自己グルーミング(被毛を掻く・噛む・舐める)、常同歩行(グルグル歩き回る)、ボディシェイキング(体を揺さぶる)、飲水行動を観察しました。この中で一定時間内の吠えるとグルーミングについて見てみると、無音期間と比べてクラシック試聴中の発生頻度は30~40%も低減しました。

ストレスの減少

身体にかかるストレスの指標として糞中のコルチゾールというホルモン量を測定しました。無音期間中の平均コルチゾール値を100とするとクラシック試聴期間は少し下がり約92、そして歌謡曲試聴期間は約38と半分以下まで低下していました。

コルチゾールはストレス以外にも興奮や驚いた時でも分泌されます。問題行動の発生頻度が低下したクラシック試聴期間中にこの値が高かったのは、保護施設で音楽が流れるという環境に脳が緊張していたためと考えられます。

また歌謡曲試聴期間中のコルチゾール値が低かったのは歌詞あり=ヒトの声が保護犬に安心感を与えたためと思われます。(オーナーと一緒に美空ひばりの歌を聴いていたかどうかはさておき)イヌにおいては音楽だけのクラシックに加えて、ヒトの声が含まれる歌謡曲にも緊張をほぐす作用があると考えられました。

【BGMとネコの診療】

前々回、BGMを流している動物病院の話をしました。ゆったりとした音楽はペットだけでなくオーナーの不安な気持ちも落ち着かせてくれるのでしょう。実際に診療を受けるネコに対する音響エンリッチメントの効果を調査した海外の報告がありますので紹介しましょう(米国 2020年)。

診療中の行動

実験は次のような設定で行われました。
●供試動物 ネコ(1~10歳、合計21頭)
●グループ
  無音群、クラシック音楽群、猫用音楽群:各群7頭
●音楽処置
  順応処置 …全頭に無音、クラシック音楽、猫用音楽を聴かせる
  試聴刺激 …診療前に各群音楽を10分間試聴させる
●測定項目 ハンドリングスコア、ストレススコア

診療中のネコの行動反応を数値化(1:安心~25:攻撃的)したものをハンドリングスコアとして評価しました。無音群を100として比較したところ、クラシック群はほぼ同じ100、対して猫用音楽群は約62と低値を示しました。

ストレスの減少

次に診療中のネコのストレス反応を観察によりスコア化(1:リラックス~7:恐怖)して同様に無音群と比較しました。結果はクラシック群が約95、猫用音楽群は約65となりました。

この実験で用いた猫用音楽とは、ネコがゴロゴロとのどを鳴らす時や乳を飲む時といったネコの発声音域と同等の周波数から作った音楽です。ネコの場合はクラシック音楽よりも仲間の声の音が恐怖感やストレスを和らげるのに効果的という結果でした。

今回は動物やペットに対する音響エンリッチメントの作用を紹介しました。ストレスを軽減するのに有効な音楽がクラシックであったり、仲間の声であったり動物種によりさまざまな結果となりましたが、まとめると「慣れ親しんで聴いている音や声」が最も効果的であると言えそうです。

自宅で流す音楽・BGMだけでなく、オーナーの皆さんが毎日話かける声そのものがペットに安らぎを与える音響エンリッチメントになっています。

(以上)

執筆獣医師のご紹介

獣医師 北島 崇

本町獣医科サポート

獣医師 北島 崇

日本獣医畜産大学(現 日本獣医生命科学大学)獣医畜産学部獣医学科 卒業
産業動物のフード、サプリメント、ワクチンなどの研究・開発で活躍後、、
高齢ペットの食事や健康、生活をサポートする「本町獣医科サポート」を開業。

本町獣医科サポートホームページ

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