【連載】楽しい道草

【連載第4回】「回盤堂」の幕を引く~楽しい道草~

川瀬社長が脱サラをして始めたレンタルレコード店「回盤堂」は順調にスタートしました。

しかし、ここで結論を先に書いてしまいますと、川瀬社長は開業から10年になろうとしていた1989年「テンションがガクンと下がり…」店を閉じてしまうのです。

これが帝塚山ハウンドカムの設立につながりますが、まずそれまでの経緯をなるべく簡単に、ご紹介しましょう。

日陰の商売からの脱皮

「回盤堂」が営業を始めた当時「レコードを貸す」というビジネスモデルを規制する法律はありませんでした。

しかし、レコード業界としては利用者は借りたレコードを録音して繰り返し楽しむことができるので、売り上げへの脅威、著作権の侵害だと解釈しました。前回、ご紹介したように1981年10月、大手レコード会社13社と日本レコード協会は当時のレンタルレコード大手「黎紅堂」など4社を相手取り、貸し出しの差し止めを求める民事訴訟を起こしたのです。

「日本レコード協会」「演奏家権利処理合同機構MPN」「日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合」「日本音楽著作権協会(JASRAC)」のウェブサイトなどによると…。

この問題は国会でも審議の対象となり、1984年には著作権法の改正で「貸与権」が設定されます。それまでレンタルレコード店は“グレー”な存在でもあったのですが、著作権者側の許可を得れば、法的な問題はなくなり、社会的な地位も固まっていったのです。

“売り”が活かせない!

川瀬社長ら大阪のレンタルレコード店の経営者たちも、国会への陳情や「JASRAC」との話し合いに参加したそうです。この“合法化”で当時、全国で約2000店となっていたレンタルレコード店はさらに勢いを得て増えていきました。

そして1982年に発売が始まったCDの普及も進み、レンタルレコード店は「レンタルCD店」へと変化していきます。

その過程でCDの発売開始からレンタルが禁止される期間も整備されて現行のアルバムは3週間、シングルは3日間と以降していくのですが、洋楽は対象外。「貸与権」でレンタルを禁止できる最長1年間が適用される見込みが高まってきたのです。

つまり世界最初の発売日から1年間はレンタルできません。正式に決まったのは1991年なのですが、これが先に書いた川瀬社長の「テンションがガクンと…」という言葉につながります。

「『回盤堂』の“売り”はまだ日本で発売されてない最先端の洋楽を並べることでした。それが1年間もできないなら、日本盤の発売と同じか、遅れての貸し出しになり、うちの特徴が活きません」

それで、すっかりレンタル業への意欲を失ってしまった川瀬社長は1989年にあっさりと廃業を決めます。

「Lee」が変えた人生

「今から思えば大したことはないんですけど、当時としてはもう大金を稼いだという気になっていましたし、店を閉めれば敷金も返ってくるし…という考えでした。だいたいレンタル店をやめるときというのは1カ月くらいかけて商品を中古盤として売って閉めるというパターンが多かったみたいんですけど、売れ残りの処分を考えたら、まとめて売ったほうがいいかも、と思って中古盤を扱っている知り合い2、3軒に声をかけたんです。1軒が1枚800円から850円で買うというので売りました。1店についてだいたい1000万円くらいですね。それが数店ありましたから…」

川瀬社長の頭をよぎったのが愛犬の「Lee(リー)」です。

「閉店する1年前くらいです。自分で洋盤の解説を書いて仕入れもして、ちょっと疲れてて癒(い)やしが欲しかったんです。それで犬を飼い始めたんです。生まれたばかりのアフガンハウンドのメスで毎日、一緒に店に出勤してました。店をやめようと思ったのもLeeとのんびりしたいという気持ちもあったんです。いやぁ、もう可愛くて可愛くてメロメロになってしもたんですわ」

そこで、思いついたのがペットビジネスでした。CDを売ったお金もあります。ですから敷金は返ってこなくても帝塚山の「回盤堂」1号店をそのまま改装してペット用品の販売とトリミングの店にすることを思いつきました…というか、もうすぐに決めてしまったようです。

「『Leeと一緒に仕事をできたらええわ』という気持ちが強かったので、儲けは度外視です。月に20万~30万円も稼げれば、と思ったんです。実際やってみたら、そんな甘いもんやなかったんですけどね。ペットの仕事に関しては知識もなくて完全な素人です。ちょうどそのころ通っていたマナー教室の先生にそのことを話したら『トリミング学校の理事を紹介してあげるわぁ』ってことになって、その理事の方の阪神間にあるお宅にお邪魔しました。大きな家でシェパードを何頭か飼ってましたね」

…と話はとんとん拍子に進んで、店に来てくれるトリマーさんも決まり、「回盤堂」を閉じた1989年から「帝塚山ハウンドカム」が産声を上げたのです。

ところで店名の由来は?

「ハウンドは猟犬という意味ですけど、それに関係なくLeeがアフガンハウンドでしたから単純にそこから取って…。カムはコミュニケーション(communication)のcomから考えつきました。その後、ネットショップを始めることになってからドット・コム(.com)と重なることに気づいて『あっ?』と思ったんですけど、当時はそんなこと考えてもいませんでした」

川瀬社長の社会人の第3ラウンド、経営者として2番目のステージの幕開けです。

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