名前は「はな」。
オーストラリアン・シェパードの女の子。
犬の図鑑でオーストラリアン・シェパードが載っていて
その子の目に一目惚れをしてしまい、まだまだブリーダー も少なかったオーストラリアン・シェパードの子犬を探し まくりました。
オーストラリアン・シェパードという犬種のことは
かなり勉強して迎え入れた「はな」でしたが、
予想を上回るハイパーさと、天真爛漫さ。
スポーツドッグになって欲しいという飼い主の勝手極まる 願望で「フリスビー」を選びました
が・・・
本犬は全くやる気を見せず。
フリスビードッグへの道はかなり道のりの遠いものとなりました。
そんななんちゃってフリスビードッグのはなでも 大会にたくさん出て、たくさんの人たちと友達になりたくさんの感動をもらいました。
犬と一緒になってやるスポーツ、アウトドア、旅行。
そんな楽しさを教えてくれたのがはなでした。
そしてそんな中で犬飼いの友達がたくさん増えたので
その友達から犬の本来の「食」や「健康」に対する こだわりや情報をいろいろ得るようになりました。
私が「生食」を知って与え始めたのもこの時期からです。
はなを飼ったおかげで、犬に関する知識をたくさん身に付けることができました。
はなが5歳の頃、オーストラリアン・シェパード飼いの友達のところに子犬が産まれ、その1匹を譲り受けることになりました。
それが4番目の犬「まる」です。
オーストラリアン・シェパードという犬種があまりにも面白く、2頭飼いになりたいという気持ちがものすごくあったので、家族に迎え入れた子でした。
「はな・まる」は性格は全く違いましたが、仲は良く
どこへ行くのも遊ぶのも一緒でした。
はな、14歳のとき。
はなは心臓を悪くしてしまいました。
心臓は一度悪くなってしまうと治ることはないです。
それでも少しでも長く生きて欲しいと、一段と食事に気を 使い、病院もなんとか良い薬がないかと、セカンドオピニオンを求め遠い病院で診てもらったこともありました。
それでもはなの心臓はますます悪くなり、2013年の1月に 虹の橋へ行ってしまいました。
はなの死でとても感じたことは
「死」をちゃんと受け入れる準備を家族ですれば、「死」 を納得できることでした。
死んでしまうことは分かっています。
そして、飼い主がいかに納得して看取れるのかが問題だと 思います。
飼い主が「こうやってあげれば良かった」と死んだあとに 思わないように、飼い主のエゴであってもやってあげること が大事だと私は思います。
はながとうとうもうダメだな・・・と思ったとき
家族みんなで抱っこをして看取りました。
とっても幸せな死に方でした。
「はなには精一杯の世話したしな、最後まで看取れたし
良かった、良かった」
そう思うのは飼い主の「エゴ」かもしれませんが
それがいいのだと、私は強く思います。
またペットロスか・・・と思いきや
これが納得した死に方だったため、ものすごく落ち込むこと もなく、はなのいない日常生活は寂しいものの、自分でも ビックリするくらい「大丈夫」でした。
私の3番目の犬「はな」。
生から死まで全ての大事なこと楽しいことを教えてくれた
とってもとっても大好きな大好きな犬でした。
つづく